コラボレート商品

Chiyodakinzoku’s Work Story

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Made in Tokyo

工場内千代田金属は、東京都葛飾区にあります。葛飾区は、かつては「おもちゃの町」として知られ、腕に自慢の職人たちを抱える金属プレスやブリキの製造・加工を専門とする町工場が集まっている町です。今はその職人も少なくなり、高齢の方も多くなりましたが、その分、仕事へのこだわりと長い経験で磨きをかけた熟練の技を誇る職人さんが数多く活躍しています。
私たちは、そんな職人さんたちに支えられ、「千代田の型」を作っています。手作りの良さを大切にした、葛飾の町でなくてはできない金型。10年後も20年後も、私たちは、”Made in Tokyo”にこだわった町工場の一つであり続けたいと思っています。

時代に先駆けた「始まり」

工場内私たちの始まりは、昭和40年代。日本は高度経済成長の真っただ中にありました。まだ町中には「洋菓子専門店」はほとんどなくて、ケーキ屋さん、パン屋さん、洋菓子屋さんなどが一括りにされていた時代です。
創業者・吉田欣也は、昭和42年(1967)、東京都葛飾区で糧食器製造販売を行う個人事業、千代田金属工業を創業しました。経済成長とともに生活の洋風化が進み、洋菓子やパンの流行を予見していた欣也は、昭和46年(1971)に初めての製菓製パン用型類の製造販売を開始。全国にディーラー網を展開するなど事業を拡大し、昭和48年(1973)に千代田金属工業株式会社を設立。この年に発売した製菓用連結焼型「レモンケーキ型25連」が全国的なブームとなり、焼型の製造販売は事業の大きな柱へと育っていきました。
昭和60年(1985)、創業者・吉田欣也が亡くなりました。その後を継いだ現社長・吉田達は、欣也の志を成就するべく製菓製パン用の型を主力商品に据え、全製品のフルモデルチェンジ、高品質素材の採用などに取り組みました。そして、自らも「うちは洋菓子に特化した洋菓子の型屋です」と言い始めたのです。今から思えば、これが「千代田の型」ブランドの始まりでした。

ものづくりとは、信念を貫くこと

工場内金型は町工場の技術と設備があれば作れるもので、ともすれば価格競争に追い込まれてしまいます。もちろん、洋菓子の金型も例外ではありません。そんな中、私たちは多くの金型メーカーと一線を画し、独自の路線を歩んで来ました。その拠り所となっているのが、「たくさん作って売るのではく、お客様に満足していただける焼き上がりを確実にお届けできる型だけを作る」という創業者・吉田欣也の言葉です。初めて製菓製パン用の焼型をてがけて以来、私たちは「どうすればおいしく焼き上がるか」「いかに出来上がりがおいしく見えるか」など、お菓子の焼き上がり、風味、表情を追求してきました。そのため焼型は材料にこだわり、手間を惜しまないものづくりを貫いています。
こうした創業者の志を受け継ぎ、創意と工夫を重ねた二代目社長・吉田達によって、「千代田の型」は世界で認められる存在へと開花しました。

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モールドデザイナーという職人

工場内ご存じのように、お菓子は三次元のものです。そのため、金型の製作にあたっては、お客様の望む形をどれだけ立体的にイメージでき、かつ金型として成立させることができるか、という2点がポイントになります。味も見た目もおいしく焼き上がるためには、型の設計・デザインがとても重要だと私たちは考えています。そのきっかけとなったのが、私たちの最初のヒット商品、「レモンケーキ」です。
工場内「レモンの形をした焼型はないのか?」とお客様から聞かれた創業者・吉田欣也は、それまで日本に存在しなかったレモンをかたどった焼型づくりに没頭し、試行錯誤の末に完成させました。これが、千代田金属独特の「モールドデザイナー」の始まりです。
金型の元となる形を造形する職人は単に「デザイナー」と呼ばれていましたが、絵を描く、デザインをする人のこともデザイナーと呼ばれ区別がつかないため、型(モールド)を創造・デザインする(デザイナー)ところからモールドデザイナーという名前をつけました。名前をつけることで「自分達はモールドの専門のデザイナーだ」という意識を持つようになり、ヒット商品となったユニークな型が数多く誕生しました。デザインへのこだわりもまた、私たちのものづくりのスタイルと言えます。

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日々の積み重ねが、夢をかなえる

工場内私たちのものづくりは、創業以来の信念を頑なに守り続けた、とても地道な作業の積み重ねです。また、「千代田なら何とかしてくれる」、「千代田の品物を使っていれば間違いない」と言っていただけるユーザーの方々の期待に応え続ける努力を欠かすことはできません。その姿勢を正しく伝えることは難しく、自分たちの進む道を思い悩んだこともありました。
しかし、私たちは「フランス発祥の焼き菓子を千代田の型でフランスの方に使ってもらいたい」という夢を忘れたことはありませんでした。折にふれ夢を語り続ける中、あるパティシエの方が私たちの型を手にする機会があり、とても気に入っていただきました。そして、雑誌やテレビで紹介していただき、「千代田金属」という名前が表に出てくるようになりました。さらに「千代田の型」をフランスへ持って行っていかれた事で、念願だった海外との取引が始まったのです。
おかげさまで、近年は「千代田の型は製菓用金型のブランド」と言われるようになりました。しかし、特に何か新しい事を取り入れてきたわけではありません。ものづくりの信念を大切に、オーダーメイドにこだわり続けてきた一つの結果だと私たちは考えています。これからも、その信頼と期待に応える型づくりを通して、さらに大きな夢をかなえていきたいと思います。

千代田のオーダーメイド

工場内私たちの型づくりは、「こんな物を作れないか?」と相談されるところから始まります。時には、無理難題とも思えるオーダーもあります。しかし、「できないの?」と聞かれると、出来るまでやってしまうのが「千代田のオーダーメイド」です。何度も試作を重ね、お客様も私たちも納得できるまで粘って作っていきます。こうしてお客様のさまざまな要望に応え続けたことで、そのお菓子が人気商品になると「千代田さんは◯◯さんの型を作っている会社ですよね?」と聞かれるようになりました。 今日もまた、「私の型も作ってくれませんか?」という一言で、新しい挑戦が始まります。

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